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おもしろければいいです。

最近はドラマを見ても映画を見てもアニメを見ても、小説や漫画を映像化したものが多い気がする。面白いなと思って見てるものがたまたまそうなのかもしれない。別にオリジナルの物が作られなくなって嘆かわしいとか、そんなたいそうなことは考えてないけれど、小説や漫画が実写化、あるいはアニメ化される度に巻き起こる賛否両論は面白いなと思う。

小説は、中には挿絵があるものもあるけれども、文字で綴られた世界だから、登場人物の容姿や声やしゃべり方や表情、あるいは物語の舞台となる背景や、もっと言ってしまうとその世界の匂いみたいなものは読み手の脳内でそれぞれ妄想され構築される。同じ本を読んだとしても、10人いれば10通りのイメージがそれぞれの頭の中に描かれるわけで、それが読書の楽しさともいえるんじゃないだろか。
漫画は、絵で描かれたお話だから、ビジュアル的なものは読み手は一様に共有できる。けれどどんな声でどんな風に喋るのかは、やはり読み手それぞれの頭の中で好き勝手に妄想されている。

実写化・アニメ化というのは、なにからなにまで作り手のイメージで再構築されるから、「え、なにこれ、私の考えてたイメージと全然違う」と思う人が出てくるのは、至極当然のことだと思う。実写化あるいはアニメ化が成功か不成功かは、違和感を感じる人の割合が少ないか多いかということかもしれない。

それから「原作」か「原案」かという点も結構重要。
「原作」は作り手が「原作」をそのまま自分なりのイメージで再構築した物で、「原案」は物語の世界観やモチーフは残しつつも、原作とは別物として構築されたもの。という風に解釈しているんだけども。
とはいえこれも「程度の問題」で、「原作」であっても、作り手の妄想がトンデモナイ解釈で暴走した挙句、「は?いやちょっと待ってなんでそうなるの?」となる場合もある。原作でありながら、もはや原作の世界観どこ行ったみたいなぶち壊し方をする(以下省略)
「原案」は二次創作って考えると、何でもアリなのかもしれない。「原作」とは全く別物と考えた方がいい。ただあまりにもアレだと原作ファンの中には不快感を感じる人がいるんじゃないかな。
どちらにしても大衆に向けて作る物なのだから、制作側の独り善がりばかりじゃいけないと思うし、もっとも大事なのは原作に対する「敬意」だとも思う。そこを無視して「やりたいように作るぜ!」って言うんなら、端からオリジナルを作ればいい。

もっとも、作り手が原作をちゃんとリスペクトしていたとしても、その方向性が自分と合わないとやっぱり「はぁん?!(# ゚Д゚)」ってなるわけだけども。それは仕方ない。原作を好きだからこそ譲れないものがある。双方にある。
前に私の好きな作家さんの好きな小説が実写映画化と聞いてワクワクしながら見たらものの見事に残念な感じになってて、数年後にその作家さんの別の作品が実写映画化というので期待しつつも不安交じりに見たら、おいちょっとまてこらふざけんなよと文句を言いたくなるくらいイメージを壊されて、この作家さんの作品はもう二度と実写化して欲しくないと心底思うようになってしまった。2作とも原作に敬意をもっていたのだろうけど、あんまりにもあんまりだった。少なくとも私にとっては。
この作家さんの作品は数本アニメ化もされたけど、アニメの方は原作の味を十分活かしていてそれでいて独特の雰囲気を纏った非常に良いアニメだった。
どんなに原作が面白いからといって、それを映像化したら面白くなるとは一概には言えないんだろうな。向き不向きがあるということもあると思う。

密度のある原作を2~3時間の映画なり1クールのアニメなりドラマなりにするには、内容を削らなければならないだろうし、どこを残すか、どこを膨らますか、どこに焦点を当てるか、それは大変な作業に違いない。作り手が原作のファンであれば、ファンのツボを押さえた物を作ることができるだろうけれども、話題作だから映像化!みたいな目的だけで作れば失敗する。的外れで中途半端なものになる。「ほらほら、こういうの好きなんでしょ?」ってのは大抵反感を買う。映像化するなら、原作を愛しているスタッフの皆さんに愛を込めて作ってもらいたいと願わずにいられない。

色々を理屈を並べてきたけれども、映像化された物が自分とイメージが一致していようがかけ離れていようが、原作に忠実であろうが別物になっていようが、実のところ作品としての質が高くて面白ければそれでいいわけです。映像化とは言い換えれば他の人の頭の中に描かれたイメージの具現化だから、他の人のイメージをこの目で見ることができると考えることもできるわけで、それはそれで面白い。自分が許容できる範囲で、面白ければそれでいいのだ。


すごく当たり前の事を長々と書いただけだということに気づいて消したくなったけど、独り言だし、まぁいいか。







おまけ
映像化の他に映像作品の「リメイク」ってのもあって、これも前述のものと共通するものはあると思う。
私の大好きな映像作品があってだな(中略)で、海外でリメイクされた作品ってのが私の許容範囲外でだな(省略)(自主規制)






呪い

前の前の職場を辞めようと思ったのは、新しく与えられた仕事がなかなか覚えられなくて、それでもやらなきゃという思いと、やれという社長の厳しい言葉と、やり方を教えてくださっている先輩に対する申し訳なさに焦りばかりが募って、ついにはわかる事もわからない事も何も見えなくなって、あの時私の心は半分壊れたんだと思う。 
机の上の書類に向かっても目が泳いで文字を追えず、仕事が終わって買い物しようと思っても、人の居る所にいるとどんどん動悸が激しくなって手が震えてきて20分も居れなかった。
もう無理だと思った。
それは私の心の弱さのせいだと、今の私ならばそう思える。
でもその時はどうにももう無理だった。

悩みに悩んで「辞めさせてください」と申し出た時に社長から言われた言葉が呪いのように私を縛り続けている。

「あなたはどこに行ってもどんな仕事もできないよ。続かないよ。」

あれからもう何年も経って、最近偶然その社長と再会した。私が辞めた後に大病を患い闘病を経験されたそうで、そのせいかずいぶん物腰が柔らかくなっていた。私が、(今は元職場になってしまったけど)働いていると告げると、目を細めて「そうか!頑張っているんだなぁ!頑張れよ!」と肩を叩いて笑った。
あんな経緯で退職した職場だから、なんとなくそのあたりの道を避けて通っていたけれども、社長の笑顔を見たとたんにずっとわだかまっていた後ろめたさが溶けた気がした。

でも、あの言葉は棘のようにつき刺さったまま残っている。抜こうとするとどんどん奥まで食い込んでしまって、何を使ってどうあがいても抜けやしない。あれはもう私の一部になってしまったのかもしれない。私の肉の奥深くまでもぐりこんで、ちくちくと私を責め続けている。

「ワタシハドコニ行ッテモドンナ仕事モデキナイ。続カナイ。」

優先順位

最初に。
このブログもだいぶ放置気味になってまして、気が向いた時にはこうやって気まぐれに書く程度になってしまいました。書くだけ書いたらまた放置なので、先日はコメント頂いたことに気づかずにだいぶ時間がたって気付くという最低な失態をしてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。
今後もたぶん同じペースでの気まぐれ更新になると思いますので、誠に勝手ながらコメントを受け付けない設定にさせていただきました。ご了承くださいませ。


さて本題。
なんだか子育て中のお母さんがこどもほっぽって趣味に没頭したらイカンとか(意訳)それに対する意見とか、そんな話題がTwitterを賑わせているようで。

少し前に「息子らが高校生になるころまで趣味を封印してた」と言ったつぶやきをしまして、それだけ見ると「貴様もお子さんが小さい頃はお母さんは趣味に没頭しちゃイカン派か!!」と言われそうですけども、違う、そうじゃない。
封印はされてたけど、我慢はしてないですし。
だって楽しかったもの、子育て。

子供と同じ目線で見た世の中はホントに面白くていろんな発見があって楽しかった。
一緒に工作して、一緒に公園を転げまわって、一緒に虫育てて、一緒に本読んで、楽しかったなぁ。
発想とかもう頭が固くなった大人には考え付かないようなことするしね。こどもって面白い。
逆に、仕事でこどもと一緒にいる時間が少ない旦那は寂しいだろなぁ、と思ったりしてた。
だから、我慢してない。
もしかしたらその時期は子育てが一番の趣味になってたのかもしれない。

今の世の中は少子化が進んでいて小学校も幼稚園も子供会も子供が少ないから、役員は最低1人1回はやらなきゃいけない、みたいな感じだったので役員もやった。
長男が入園した時は下の子がまだ2歳で、両方の実家も県外で預けられる人もいなかったからやらなかったけど、次男が年中さんの時に役員をやって、彼が小学校に入学した時に「さっさとお勤めを終わらせてしまおう」と思ってクラス役員を引き受けたのが運の尽きで(笑) そのままずるずるとPTA本部にまで引っ張り込まれて、小学校では通算で何年やってたんだっけ?広報委員が2年と、本部が2年?安全委員ってのもやった気がする。それは子供会の方だったっけ?いろいろ忘れてる。
ともかく息子らが小学生のころはずーっと役員やってた気がする。
役員もね、やってると大変だけど楽しいですよ。学校に足を運ぶ機会が増えるから、学校での息子たちの様子を見ることもできるし、先生が「息子さんが~」ってお話してくれることもあるし。

学校の役員だって大概ですよ。なんだかんだで帰りが遅くなったり休みの日に出かけたりもありましたし、家に子供残して。家で書類作ったり作業したりもしましたし。子供ほっぽって。しかも無報酬で。
ま、たまに役員仲間とランチとかもありましたけど(てへぺろ)
学校の役員を引き受けるってのも「子供と向き合う」事の一環だと思うんですけども、それでもそういうことがあるんですよね。
事の発端となった件の方流に言えば「子育て中のお母さんは役員を引き受けるべきではない」みたいな乱暴な話になりますな。極論か。

とりとめもなく頭に浮かんだことを片っ端から書いてたら、何が言いたいのか見失ってしまいました。着地点はどこ。

子育て中のお母さんが趣味を楽しむ事について。
それが正しいとか間違ってるとかはわからないです。それぞれのご家庭の状況や事情によりますしね。
お子さんにもよりますし。「お母さんはボクより趣味の方が好きなのかな。もっとボクを見て」って寂しがってる子もいれば、「お母さんが楽しそうでいつも笑顔でうれしい」って思ってくれる子もいるだろうし。
旦那さんも、一緒に子育てを楽しんでくれる人か、子育てを丸投げする人か、妻の趣味を理解してくれる人か理解してくれない人か。
お母さん自身も子育てを楽しんでいる人もいれば、育児によって時間を拘束されている、私という個が殺されていると感じる人もいる。私は頭が悪いのでやり始めると何でもたいがい楽しくなってくるので楽しかった(得な性格)
ご実家が近いとか、お子さんを安心して預けられる信頼できる人が近くにいるとか、そういう環境があるかないかってのも大きいですよね。
色々です。いろいろ。組み合わせは大事。噛みあわないと誰かがツラい思いをする。

だから、条件とか周囲の理解とか、それと没頭の程度にもよるけれども、そういう諸々の事を鑑みて、お母さんだって自分の趣味を楽しんじゃっていいと思います。
あと、とっても大きな志をおもちの母さんもいると思うんです。そういう方にとってはスキルアップのための時間は1分でも1秒でも欲しいところだと思うんですよ。長い目で見ると、子育てが一段落してさてこれからは私のターンってなった時に、その時間の積み重ねと努力があるかないかでだいぶ事情が変わってきますしね。
こんなこと書くと怒られそうですけど、子供はいずれ巣立っていくものです。(旦那は巣立たないけど)
そうなって一人になった時に空の巣症候群にならないためにも、自分を支える為の生きがいを持つのも必要な事のように思います。空の巣症候群で寂しすぎて亡骸みたいになっちゃった友人がいましたしね。(今は蘇った)
どれだけ趣味に没頭しようが、何があろうと優先順位の不動の1位が子供、それは忘れちゃイカンと思いますけど。
それとやはり最終的にはお互いを思いやる気持ちですかね。(旦那さんも忘れずに。)


・・・と今なら言える。
いろいろスマンかった。---------息子らと旦那さんへ。
これからも趣味三昧な人生だと思うのでひとつよろしく。


後で読み返してあ"あ"あ"あ"あ"あ"っ----っ私なに様ーーーっ!!ってなって削除したくなるパターンだな、この記事。
消えてたら察してください。

今日は風が冷たい

若い頃は攻撃的に自論を展開したり、自分の得意分野の表現を得意げにひけらかして「私はここに居る」と自己主張することで、ぼんやりと曖昧な自分の輪郭をはっきりさせようと躍起になっていた。
そうでもしなければ自分というあまりにも無味で希薄な存在が、ここに居る意味があるのかと不安で仕方なかった。
ここに居てもいい「価値」を獲得したかった。

意味とか、価値とか。

そんなのは無意味だ。

今はそう思えるようになった。

輪郭を際立たせる為にいろんな色の濃い鉛筆でガリガリと線を重ねていくうちに、どんどん太く歪になって、しまいには本当の自分の輪郭がわからなくなってしまった。そんな自分がひどく滑稽で恥ずかしくなってきた。
だから、だんだんと輪郭線を薄くぼやかし始めて、今は生きていることが楽しい。

風や水や光は輪郭がない。でも絶対的にそこにある。
泰然と風は風で、水は水で、光は光でゆるぎない。
人が意味を持たせてくれる。形をくれる。価値をつけてくれる。
それでいい。そういうものになりたい。

私は模糊とした私のまま、自分が楽しいと思う色、好きだと思う色、嬉しいと思う色を思うままに重ねて彩っていきたい。自分の生を楽しみたい。誰に認められなくとも、自分を愛したい。

独り言

自己完結型の人間なものだから、何か悩み事や落ち込む事があってもあまり他人に相談したことがない。

ああだこうだと理屈を捏ねて言い訳並べて自己正当化する自分と、侮蔑の目で冷やかに見つめて容赦なく責めたてる自分と、そんな二つの自分を客観的に分析する自分と。そうやってひとしきり自分の中でぐちゃぐちゃドロドロしてるうちに、ふと馬鹿馬鹿しいくらいに当たり前の答えに行きつく。
その選択肢が正しいか間違っているか、ではなくて、結局は自分が納得できるか出来ないか、という事なんだろうと思っている。答えに行きつくことが重要なのではなくて、つまりはその「ぐちゃぐちゃドロドロ」する過程が、私が浮上するための大切な儀式だったりする。

自分を悩ませあるいは落ち込ませる要因も、突き詰めて考えると全ては自分で作りだした迷路の様な気もする。足元ばかり見ているから迷うのだ。目の前の闇ばかりに目を凝らして見えない物を妄想しているから不安なのだ。
真っ暗なトンネルに入ってしまったと思っていても、実は出口は無数にあって、他人が指し示す出口を「狭すぎるから無理」だとか「先が見えないから怖い」だとか、なんだかんだと理屈をつけて拒否して、自ら選択肢を狭めているだけなのだ。
ほんの少し努力すれば、ほんの少し勇気を出せば、暗闇だと思っていた世界は実は自分が目を閉じていただけなんだと気がつく。気持ちの持ち様、考え様で自分自身を救う事が出来るのだと、この歳になってようやくそう思えるようになってきた。
勇気を振り絞って一歩を踏み出すか、現状を受け入れるか、その決断をするまで悩んで悩んで、外に答えを求めても、結局決定権はいつだって自分自身にしかない。
そうやって立ち直って来れた私の悩みなど、所詮はその程度という事なんだろうけれど。

けれど自分がそうだからと言って、必ずしも他人も同じとは言えない、とも思う。
世の中には本当に身動きも取れないほど辛い苦悩の中でもがいている人だっていっぱいいる。本当に自分ではどうにも出来ない状況の中で絶望している人がいる。
そういう人を目の前にして、なんとか元気づけてあげられたら、痛みを和らげてあげられたらと、

ただ人は・・・少なくとも私は、自分の物差しと経験でしか物事を見る事は出来ないし、こういう性質たちだから、思い悩み苦しんでいる人達にかけるべき言葉の選択でいつも悩む。

 この人は慰めて欲しいのか、同情して欲しいのか、励まして欲しいのか、
 一緒に泣いたり怒ったりして欲しいのか、それとも放っておいて欲しいのか。
 答えが欲しいのか、アドバイスが欲しいのか、意見を聞きたいのか、
 もしかしたらただ話を聞いて欲しいだけなのかもしれない。

あるいはこうも考える。
 
 悲しみや苦悩を抱えて疲弊した人を救いたいなんて、
 なんて傲慢な思い上がりなんだろうと。  
 砂漠に水を蒔くように、果てしない苦しみとわかっていながらも続けなければならない
 辛さの中にいる人の痛みに対して、そういう地獄に触れた事もない私が、
 さもわかった風な顔をして、一体何を言えるというんだろう。

 よしんば、同じ様な逆境を経験したとしても、その人が感じた痛みと、私が感じた痛みは
 必ずしも同じではない。私がその人でない限り、その人の傷の深さを知る事は出来ない。
 私には我慢できる痛みが、その人には耐えられない激痛なのかもしれない。

 見ている自分が辛いから、その苦しみから逃れる為に慰めたいのかもしれない。
 「優しい私」に酔いたいから手を差し伸べようと思っているのかもしれない。
 


わからなくなってくる。



目の前で苦悶している人に、私はなんと言えばいいのか。
どんな言葉も薄っぺらに思える。
薄っぺら過ぎて自分の本心が透けて見えるようで恥ずかしくなる。



それでも。

人の温もりはその人を支えるのだろう。
その人の苦しみの深さはわからなくても、苦しんで身悶えしている姿は見える。
癒せないかもしれない、救えないかもしれないけど、
気持ちはあなたに寄り添っていると、
傷ついた心を抱きしめたい手がここにあると、
気付いてもらうために、


言葉は必要なんだろう。

 
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路地裏のノラ

Author:路地裏のノラ
高岩成二さんのファンです。
仮面ライダー大好きです。
来世は絶対男に生まれ変わってJAEに入って、仮面ライダーを目指します。

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